ディズニー 美女と野獣 感想(ネタバレあり)~極上の実写映画~

こんにちは、まるりです。

当ブログは、主婦の日常・育児ブログですが、今回は日々のささやかな楽しみである、
映画について感想を語らせて頂きたいと思います。

今回はディズニー映画「美女と野獣(実写版)」の感想です。

映画館で見たときに、

なんて極上の実写映画なんだ・・・!!!

と、あまりにも感動的だったので、いつかまとめたいと思っていました。

宜しければどうぞお付き合いください。

*盛大にネタバレしています。ご注意ください。
*字幕版で見ました。
*台詞を多々引用していますが、一言一句正確、というわけではありません。

 アニメ版の良さを継承

この実写映画は、アニメ版のストーリーから削った要素はほぼ有りません。
始まり方も、終わり方も同じなのです。

歌も、あの名曲の数々がカバーされています。

エマ・ワトソンを始めとするキャスティングも違和感がなく、
CGなどによるキャラクター造形も、ほぼアニメ版のものを受け継いでいます。

アニメ版を愛する人たち(私を含め)に大きな安心感を与えてくれます。

にも関わらず、です。

最初から最後まで新鮮で、退屈を感じる事が有りません!

正にマジック。

ディズニーマジックです。

 エピソードや歌を追加

アニメ版の時間が92分であるのに対して、実写版は130分です。
38分長くしたことにより、様々な「追加」がなされています。
変更と言うよりは、「追加」です。
それも、練りに練った極上の追加により、アニメ版の面白さを損なうことなく、
映画に新鮮さと更なる深みを与えることに成功しているのです。

アラン・メンケンによる新たな名曲

皆様、作曲家アラン・メンケンをご存知でしょうか。
ディズニーアニメ映画黄金期第二期(アラジン、リトルマーメイド、美女と野獣など)を
彩る数々の名曲を作曲してきた方です。

(日本でいうと、久石譲のような存在ですね!)

その彼の新たな曲が、この実写版の「ここぞ!!」というシーンで挿入されるのです。

アニメ版と同じ作曲家なので、違和感がないのはもちろんのこと、
感動が200%高まります!!!

 絢爛豪華な映像美

美女と野獣といえば、ベルと野獣のダンスを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

実写版では、ディズニーお馴染みの絵本風の始まり(ワンスアポンアタイム・・・)と
思わせておいて、いきなり舞踏会シーンが始まります!

野獣が思い上がってやりたい放題していた時代の描写です。

このシーンの煌びやかさ、豪華さときたら!!
名曲「朝の風景」で始まる、のどかなベルの村のシーンを予想していたものですから、
冒頭から驚かされます。

宮廷のようにシャンデリアや大理石で飾られた大広間。
マリー・アントワネットのように膨らんだドレスやかつらで着飾って踊る女性たち。
縫うように歩く、美しい化粧を施した美男子であった野獣。

流れているのは、新曲の「アリア」。

アリアの高音に乗せて序盤から緊張感が高まり、それを破るように、
あの魔女が訪れる・・・。

この一連の流れは、鳥肌ものです。

 主役の二人の人間性や恋愛に至る経過が、より丁寧に

 ベル~知性と、恐れに立ち向かう強さ~

ヒロインのベルと言えば、知性ある強い女性です。
アニメ版では描写しきれなかった、その特徴を実写版では幾つものエピソードを加え、
よりヒロイン像を明確に、説得力があるものにしています。

<彼女の知性を示すエピソード>

●父親の発明を技術的に理解しており、父親が必要な道具をすぐに差し出す事が出来る
自分でも馬力洗濯機の仕組みを考案、実践している
●序盤に読んでいた本はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」

<彼女の強さを示すエピソード>

●彼女の考えが村の人々から理解されず、洗濯物を汚されるなどの嫌がらせを受けているが、
自分を信じ、生き方を変えない
(村の独り者の貧しい女性を見て動揺するなど、不安との葛藤はある)
助けを拒む父親を突き飛ばしてでも、自ら牢屋へ入る。
その際、父親に「必ず逃げてみせる」と誓う。
アニメ版では泣き崩れていたが、実写版では強い意志で立ち続けていた。
●物語の中盤、野獣と二人でダンスをするシーンのあと、
野獣から「ここで幸せになれるか?」と聞かれる。
ベルは野獣に惹かれつつあったが、「自由がないのに、幸せになれる?」と返答する。
『自分の意思で選べない状況に、真の幸福は見いだせない』という、
主張が読み取れる。

 野獣~なぜ、ベルは彼に恋をしたのか~

アニメ版でのベルは、なぜ野獣に恋をしたのか、いまひとつ説得力に欠けます。
「最初は乱暴だと思ったが、意外と優しかった」というところ以外、魅力が説明されていないからです。

実写版では、彼の魅力の底上げが感じられます!

<新たな魅力その1 知性・品性>
アニメ版では、ベルに文字を教えてもらっている有様の野獣でした。
実写版では違います!

序盤こそアニメと同じく獰猛さのみが目立ちましたが、ベルと心を通わせるにつれて、
「プリンス」という称号に相応しい高等教育を受けた、知性が見えてくるのです!!

ベルが「ロミオとジュリエットが好き」だと言うと、「女はロマンスばかり読みたがるな」と、半ば呆れたような回答をします。そればかりか、「他に読むべき本はたくさんある」と言うのです!
『当然読んだことがあるし、もっと他の価値のある本を読んでいる』ということですね)

これまで、読書をまともにしている男性と殆ど話したことがなかった(父親と本を貸してくれる神職と思われる男性のみ。教職の男性は、ベルを嫌っていた)ベルにとって、
これは歓喜を伴う驚きだったようです!

これまであった恐怖や遠慮を取り去って、もっと話を聞きたがります。

そこで、野獣があの図書室へ連れて行くのです。

アニメ版では、二人の距離が縮まってから、プレゼントとして図書室へ連れて行きますが、
実写版では話のついでのように連れて行くのです。

少しずれますが、野獣は感動するベルに、「そんなに好きなら、この図書室は君のものだ」と、ぽいとあげてしまうのです!
この時代、金銀財宝に等しい価値のあるこの図書室を!

桁外れのセレブ感が漂います。

セレブ感はさておき、ベルが何よりも渇望していた、
『もっと素敵な世界(より知的で、見知らぬ世界)』が、
図書館と、自分よりも遥かに本を理解している男性、
と言う形で忽然と姿を現した
のです。

野獣に対する好感が急激に上がった事でしょう。

また、アニメでは、野獣の怖さを軽減するためか、コミカルな動きが多かった野獣ですが、
実写版ではコミカルさは抑えられ、歩き方や台詞の端々から、高貴さが感じられます。

例えば、庭の冬景色を眺めても、「(ベルがいることで)庭の景色も美しく見える」
などと呟いて、彼の感性を覗かせます。

そうしたところを見ても、ベルが野獣に惹かれるのも頷ける展開になっていきます。

<新たな魅力その2 過去の境遇>

魔女から呪いを受けるほどに、思い上がっていた野獣ですが、
マダム・ティーポットがベルに擁護する説明をしてくれます。

「昔は優しい坊ちゃまでした。しかし、お母様が無くなり、お父様が坊ちゃまをあんな風に。私たちは、何もしませんでした。ただ、見ているだけでした」

本来の彼には、誠実さや優しさがあるのです。
また、なぜ使用人の彼らまで呪いを受けているのか、という説明にもなっていますね。

<新たな魅力その3 ベルに共感する>

ベルは、村では「変わり者」として軽蔑されたり、嫌がらせを受けたりしていました。

しかし、野獣はベルを対等な人間として扱い始めます。

彼女が好きなロマンスである「グィネビアとランスロット」を読んでみたり
(アーサー王と円卓の騎士だ、と誤魔化していますが・・・)、
雪合戦で本気でベルに雪玉を当てたり。

ベルは、怒るどころか楽しそうです。

また、「村では変わり者で孤独だった」という彼女に、「それは辛かったな」と共感し
自らも孤独だと語ります(母親を失い、使用人たちの中にも近しい者はいなかったため)。

二人はお互いを立場は違えど孤独に悩む者同士として、理解を深めていく
のです。

<新たな魅力その4 一途さ>

ベルが、魔法の鏡で父親が危機的な状況にあると知り、野獣はベルを村に帰らせます。
ここで、新たに野獣が歌う「ひそかな夢」が追加されるのです!

人間に戻るという願いが例え叶わなくても、彼女を自由にする・・・その切なさ、苦しさを
バラードで歌い上げます。

「私はここで彼女を待ち続ける!」という主題の歌は、私たちの野獣への共感を高めます。

 あの人達に思わぬ変更が

ベルの父親:モーリス

アニメでは娘を愛する明るい変人のお父さんだった彼ですが、映画版では一味違います。

妻と悲劇的な別れをした、深い悲しみを内に秘めた人物として描かれているのです。

また、発明品は「まき割り機」ではなく、
美しく芸術性の高い「オルゴール」なのです。
結末のシーンでは舞踏会の様子を宮廷画家のように絵にしている姿も見られ、
「発明家」というよりは「芸術家」のようです。

オルゴールを作りながら、モーリスが実写版の追加曲である「時は永遠に」を
口ずさむシーンは、なんとも甘い悲しみに満ちています。

娘を深く愛する様子はアニメ版よりも丁寧に描かれ(ガストンに「娘はお前と結婚しない」とはっきり告げるなど)、とても魅力的です!!

ガストンの取り巻き:ル・フゥ

ル・フゥの変わり幅も、かなり激しいです!
アニメ版では道化としての存在だった彼ですが、実写版では様変わりです。

ガストンを遥かにしのぐ知性を持っているのです。

彼らの登場シーンで、ガストンが「ベルと結婚する」と言った時、
アニメ版では「ええ・・・でも・・・」と濁していたのに対し、実写版でははっきりと、
「彼女、頭がいいだろ?」と指摘しています。
ガストンは賢くはないので、気が合わないのではないかと言っているようにも聞こえますね。
アニメ版では、もしかしたら「彼女、変わり者だろ?」と言おうとしていたのかもしれません。

ガストンはアニメ版よりも乱暴で残酷な面をしばしば覗かせますが、
彼が暴走しそうになると、ル・フゥがすかさず、なだめてくれます。

また驚いたことに、ル・フゥがガストンに好意を寄せている様子も描写されています。
賢いル・フゥがなぜガストンのような乱暴者に従っていたか、という理由を、
恋をしていたから、という事にしたのですね。

ガストンがモーリスを凍え死にしそうな森に置き去りにしたり、
ベルが「違う」と言っているのにも関わらず、村人たちを煽動して夜襲に行く様子を見て、
ル・フゥの心はガストンから離れていきます。

夜襲の歌では、ガストンを指して「ここにも野獣がいる」と歌っています。

最終的には、家具の下敷きになった時にガストンに助けを求めたけれど見捨てられた事で、
完全にガストンへの思いを捨て、その後は家具たちの味方になって村人たちと戦ってくれます。

家具たちの運命に映画が盛り上がる

お馴染みの家具たちにも、重要な追加設定があります。

 薔薇の花びらが全て落ちたら、アンティークに

アニメ版では、「ずっと家具のまま」という設定でした。
実写版では、更に過酷な「アンティークとなって、完全な家具(壊れたガラクタ)になってしまう」という運命が待ち受けているのです。

アンティークになると、動けなくなり意識も失ってしまいますので、
死んでしまう事と同じです。

映画の中盤から、彼らに悲劇が迫っている様子が描かれます。
時計の針が動かなくなってきた、衣装ダンスは眠る時間がどんどん長くなってきている、
箒は抜いても抜いてもまた羽根が増えている、などです。
本物の家具に近づいているのです。

しかし、彼らは「野獣の内面が変わっていくのを、見ているだけで何もしなかったから」と、
野獣と運命が共にある状況を受け入れています。
自分たちの罪を見つめているのです。

それでも、未来を信じ奮闘している姿に、一層の切実さを感じられます。

 家具たちの関係性が深い

彼らはアンティークになる(死んでしまう)事を、なぜそんなにも恐れているのでしょうか。

それは、それぞれに「大切な人」がいるからです。

親子、恋人、夫婦、友人・・・。

物語の終盤、奮闘むなしく彼らはアンティークになってしまいます。

マダム・ティーポットは息子のチップを探し続けたまま。
給仕長のルミエールは、恋人のメイドを切なく見届けて。
ピアノ演奏家と歌手の夫婦は、少しでも近づこうとしながら。
執事コグワースは、給仕長ルミエールとの友情に感謝を最後の言葉にして。

ハッピーエンドを知っていても、このシーンは、感涙ものです・・・!!!

最後にまさかの伏線回収

実写版では、魔法をかけられているのは、城の中だけではありません。
ベルが住む村にもまた魔法がかけられ、村人たちは野獣となったプリンスや
城の使用人たちの事を忘れているのです。

そして魔女の呪いが解けた時、村人たちも城の事を思い出し・・・。

忘れていた家族に再会出来るのです。

あのパン屋さんが、
「卵が6個欲しい」と歌っていたおかみさんが、
なんと家具となっていた使用人たちの夫であり妻だった!!!

という、驚きの展開が待っています。

最後までサプライズに満ちた実写版でした!

ぜひ、皆様にも実写版「美女と野獣」を楽しんで頂ければと思います!

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