私の母親は、毒親だったのか考える。毒親育ちから、自分で脱出するには

こんにちは、まるりです。

最近はネットやテレビなどで、「毒親育ち」「毒母の特徴」など、インパクトの強い言葉を当たり前のように耳にするようになりました。

私も幼少の頃の母親の育児方針に長く疑問を持っていましたが、「母は『毒親』なのか」と考えると、「それは違うだろう」と思っていました。

しかし私自身が母親になり、自分の育てられた環境について思い出したとき、どうにも息苦しさを感じることが多いので、今回、文章にまとめてみることにしました。

同じように悩んでいる方の参考になれば幸いです。

母のことを「良妻賢母」だと思っていた

私の母親は、母は26歳で兄2人を、29歳で私を産みましたが、昔から妻として母として、人からほめられる事が多いタイプでした。

母が他人から褒められる理由
  • 料理に手間をかけており、毎日欠かさず3食作る
  • 家の掃除が行き届いており、床にものが落ちていることがない
  • 子どもを3人育てた(双子の兄2人、私)
  • 父親は激務なので、家事育児を手伝ってもらう事はほぼ無かった(兄2人が0歳の時を除く)
  • 子どもたちはみんな真面目に育ち、堅実な職に就き、結婚した
  • ヒステリーを起こしたりすることなく、常に情緒が安定していた

正に「昭和の良妻賢母」ですね。子どもの頃に、だらけた様子の母や散らかった部屋、シンクに置きっぱなしの洗い物などを見た覚えがありません。

母のような人がママ友にいたら、私も「〇〇さんってすごいよね~!!3人も育ててるのに、家事もちゃんとやってるし。ほんと、尊敬するわ!」と手放しで褒めることでしょう。

大人になって苦しく思う、幼少期の母の言動

これはとても厄介な点なのですが、幼少期の私は「今の母親の言葉は嫌だった」と認識した覚えがありません。

しかし、大人になってふと細切れに思い出した時、「あれ、これってひどかったんじゃない?わたし、傷ついていたんじゃないの?」と気が付き、とても悲しくなったり苦しくなったりします。

育児より家事優先

母によく言われた言葉として、「忙しくて、やってられないから!(構えないから)よろしくね!」というものがあります。一緒に遊んで欲しい、描いた絵を見て欲しい、お話して欲しい、幼少の私から出る尽きない欲求に対する返事です。

母は家事に求める完成度が高いうえに、子ども3人を育てる5人家族の家事をしていたのですから、女の子の面倒な要求には答えられなかったのでしょう。

「今日の夕ご飯を手抜きしてでも、子どもに付き合おう」という概念は持ち合わせていなかったと思います。

我慢できる人間が一番、偉い

母は「辛抱強さ」「忍耐」という美徳が大好きです。そのため、私に弱音を吐くことは絶対に許しませんでした。

中学の時の部活が、どうしても私の性格に合わなかったのですが、落ち込んでいる私に対しても、「(うっとおしいから)ため息つかないでよ!」「我慢できる人間が、一番偉いのよ!」と言った具合でした。

母の叱咤激励によって私は中学三年間、引退まで部活を続けましたが、人間関係に対する根強い恐怖感をもち、大勢の人の前で発言する際に度を越して緊張するようになりました。

褒めるのは、学年で1位のときだけ

私は幼少の頃は器用な子どもだったので、小学校の絵や習字で金賞をもらったり、テストはほぼ100点をとるような子どもでした。

しかし兄2人もそうだったので、母にとってそうしたことは「当たり前」でした。学年で10人程度が選ばれる「金賞」が当たり前なので、褒められるのは「学年で1位」の時だけでした。

逆に、「金賞」に選ばれなかったときには「あんた、金賞にもならなかったの!?」と言われ、さすがに悲しかったことを覚えています。

叱るときは、全否定のダメ出しから

「あんたねえ、そんなんじゃ全然、ダメだから!」というのは、一時期、母の口癖だったように思います。

何がそんなにダメだったのかは覚えていませんが、日常でよく言われていました。母はしつけに厳しい人だったので、あらゆる点でダメ出しがあったのでしょう。

私が30代になった最近でも、家探しをしていて検討中の物件の間取りを見せたところ「え~、こんなの、全然ダメだけど~。でも…、まあ、良いんじゃない」と言っていました。年月が経ったので、言い方が婉曲になったようです。

しつけは叩くことも必要

父親も含め、両親そろって「叩いてでも教える」方針だったので、よく叩かれました。叩かれた後、「今のは、こういう事なんだよ」というアフターケアもなかったので、ひたすら悲しい記憶として強く残っています。

父は布団叩きでお尻をたたき、母は手で頭を叩くやり方だったのですが、お互いに「あの叩き方はダメ、自分の叩き方は良いけど」と思っていました。

日常的に「大好きだよ、本当にいい子だね」と言われて育てられている人や、生まれつき自信がある人は、叩かれることで学ぶ事が多いのかもしれません。しかし、普段から厳しく叱られ、ほめられる事はめったにないと、ただでさえ少ない「自分は親から愛されているという自信」が、木っ端みじんになりました。

母の育児方針が私に与えた影響

母から嫌われている、と思うように

小学生の低学年頃から、「おかあさんはわたしを、きらいなんだ」「いつも、わたしのわるいところを、さがしてるんだ」とよく考えて悲しくなっていました。

母は私のことを嫌いなのではなく、厳しくしつけをしただけですが、子どもの思考回路は「自分を好きか、嫌いか」の二択になるようです。

自分自身が育児をする年齢になって知りましたが、子どもは母親の事が大好きです。唯一無二の存在で、生活する世界の大部分を占めているのです。その母親から「嫌われている」という結論に至った幼少の私は、かなり不健全な心境だったと言えます。

人間関係の基礎となる母子関係で、母から嫌われているのに、その後の社会生活で、「自分は他人から好かれる人間なんだ」と思うことはできません。「私はたいてい、人から嫌われるような人間だ」と自然に思うようになりました。

私が現在でも抱えている「生きづらさ」が着々と築かれていた時期です。

生きづらい、と思うように

社会に出るようになってから特に、私は様々な「生きづらさ」を抱えていると思うようになりました。

私が抱える「生きづらさ」
  • 自分について過小評価と過大評価を繰り返す(等身大の自分を評価できない)
  • 根本的に、自分を好きになれない(信じられない)
  • 被害者意識を持ちやすい
  • 頭に血が上りやすい(キレやすい)
  • 自分で大事なことを決められない
  • 集団での会話にプレッシャーを感じる
  • 片頭痛や生理痛がひどい

かなり徹底的に叱られたり、体罰を受けたりして厳しく育てられたのに、全く我慢強くない、むしろ弱い人間になりました。いまは主婦ですし、通常の生活をしている分には問題ないのですが、働いているときは大変でしたし、精神的に参ってしまい一ヶ月ほど休職した事もありました。

「自分はキレやすく、被害者意識を持ちやすい」と言った点について自覚があるので、他人の前で態度に出さないように気をつかっています。友人たちは「え、まるりは何も問題ないよ!普通でしょ~」と言うかもしれません。

しかし気をつかう分、心の中は大荒れ、という事がしばしばです。夫の前では、我慢しきれずに決壊してしまう事が度々有ります。

ひといちばい敏感な私、おおらかな母

私はHSP(Highly Sensitive Person)だった

ハイリー・センシティブ・パーソンという言葉をご存じでしょうか。「ひといちばい敏感な人」という意味です。これは障害や病気とされるものではなく、ただ、色んなものごとに対して、他の人より敏感に反応する性格のことです。

育児について、信頼する臨床心理士の先生に相談したとき、「息子さんはHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)かもしれません」とアドバイスを受けました。

こんにちは、まるりです。 突然ですが、「うちの子は、健康だし、大抵は問題ないけれど、何か……、他の子と違う」と感じる時はないでしょうか...

HSCについての書籍を読むうちに、敏感な気質で成人している大人のことをHSPと呼ぶことを知り、チェックリストで確認したところ、自分が正にその特徴に当てはまることが分かりました。

チェックリストは全部で23項目あるのですが、ほぼ全てにあてはまっていました。

生活に変化があると混乱する

中でも私が困っているのは、「生活の変化に、すぐに対応できない」というものです。

小学3年生でクラス替えがあったとき、私はその変化に対応できず、新しいクラスで友達を作ることを頑なに拒みました。私をのぞく子どもたちが新たな環境に慣れて、たった一人で孤立したときに初めて、「自分の対応は間違っていた」という事に気が付きましたが、8歳の子どもがその状況を改善することはとても困難でした

他人の気分に左右される

「他人の気分に敏感である」ことも、私が生きづらいと感じる大きな要因です。家族や友達、上司のいら立ちを感じ取り、委縮してしまうのです。

HSCの子どもを叱るときは、基本的には、罰や強い言葉は必要ありません。何度も話して聞かせることが重要です。

家事とやんちゃな兄2人を育てることで忙しい母は、「一回で、びしっと、手っ取り早く言う事を聞かせる」叱り方を重視していました。つまり「頭を叩きながら怒鳴りつける」というものです。この叱り方だと、私は「母がとても怒っている」という強いメッセージを感じ、頭が真っ白になりました。

社会に出てからも、上司が声を荒げたとき、苛立ちを露わにしたときなど、全身が総毛立つような恐怖を感じました。

非HSPで、おおらかで情緒が安定している母

私はかなり抑うつされた状況だと感じていた幼少期ですが、冷静に思い出すと、母は怒り狂ったり、深く悲しんだりする事は無かったように思います。

ストレスをため込まない

自分が育児をするようになってから知ったのですが、育児で思い通りにいかない時、その場で子どもに対して怒鳴り、怒りをぶちまけることができたなら、ストレスはたまらないのです。「子どもだから仕方ない、怒っても仕方ない、ちゃんと言い聞かせて教えよう」と理性をフル稼働するからストレスがたまるのです。

母はその場で「あんた、何やってんのよ!だからあんたは注意不足なのよ!」と人格を遠慮なく否定して怒りを発散していたので、子どもの私がびくびくするほど、心底怒ってはいなかったのでしょう。ダメなものをダメと言っていただけです。

時代の影響を受けた、「子どもをダメにしない育て方」

最近では、「自己肯定感は心の土台」というような考えが広く知られるようになりましたが、母が育児をしている時代は、「子どもは甘やかすからダメになる」という考えが主流だったようです。

「甘えを受け入れる」と「甘やかし」と混同している時代の影響を受け、「○○だから子どもがダメになるのよ!」とよく言っていました。

母の考える「子どもをダメにする育て方」
  • 厳しく叱らないと、子どもはダメになる
  • 我慢させないから、キレる子どもになる
  • 叩かれないから、人の痛みが分からない子になる
  • 抱っこしたり甘えさせるから、自立できない子になる

こうした考えは、母の性格とも相性が良かったようで、「厳しく叱ればいいのね、オッケー!」という感じで、頑張って育児をしたようです。

母と合わないのは、HSPである私に原因があるのか

母のような性格のママ友

私のママ友に、「母に似ている」と感じる子育てをする人がいます。彼女は他人の気分に左右されず、くよくよ悩まず、さっぱりしていて、一方で他人への気遣いも忘れず、とても気持ちの良い友人です。

娘に対してだけ、厳しい

彼女は娘に対してだけ、(敏感な私からすると)かなりひどい言葉で厳しく接します。例を挙げると、「ほんと、とろいのよ。あー、いらいらする」「あの子、ほんとに嫌いなタイプの女だわ」「あんたそんなことで、いちいち痛いって言わないの!痛くないんでしょ?」「父親が甘やかすから、つけあがる!」と言った感じです。

一方で、他人の子にはとてもやさしく接します。

私としては幼少の記憶を刺激されて、娘さんの将来が心配になるので、ついて口をはさんだり、見守ったりしてしまいます。

よくよく叱る原因を聞いてみると、「後始末や、構わなければいけないのが面倒だから」「女の子なんだから、ちゃんとしないと」という二点のようです。

私の幼少時代を、客観的に見直すことができた

このママ友親子を見ていると、「私の子ども時代も、こんな感じだったんだろうな」と客観的に考えることができます。

娘さんがママ友のそばにきて、「いたい~」と訴えた時、「ちょっと転んだだけでしょ?そんなことでいちいち、痛いって騒ぐな!」と言われ、ちょっと間を開けてから無表情で立ち上がって走っていくときなど、既視感を覚えます(私と娘さんは違う人間なので、私と同じように傷ついているのかは分かりませんが)。

ママ友は育児について、下記のようなことをよく言います。

  • 早く手間のかからない子になってほしい
  • 可愛いと思ったことがない
  • 子どもの気持ちなんか、全然分からない
  • 仕方ないから世話をするのであって、喜ばせるために世話をしているのではない

他人事として聞くと、「えっと……、なんで子ども産んだの?」と思いますが、彼女としてはそれが自然な感情です。

きちんと衣食住や病気のときの世話はしていますし、幼児教育の塾に通わせたりピアノをさせたりと、教育も熱心です。「片付けしたの、えらかったなあ」などと褒めていることもあります。

親は子どもの性質に気が付き、受け入れる義務がある

自分の子どもや、前述の娘さん(どちらも現在、4歳)を見ていて、「子どもが自分の性格を、親が気に入るものに変えることは不可能だし、そんな義務はない」とつくづく感じます。

HSCである私の息子に、「もっと気にしない子になってほしい」と思うのは無理な話ですし、ママ友が娘に対して「自分に手間をかけさせるな」と願うのも不毛なことです。

母が私に毒をもたらしたとしたら、下記の点です。

私に自己肯定感を与えなかった

毒親について調べたときに、「条件付きの愛情」という項目がありました。この点については明確に当てはまっています。

加えて、叱るときはついては強くはっきり、体罰を交えて、全否定のメッセージを伝えます。

  • 「学年で一位をとれたら」ほめる
  • 「あんたはダメ(な人間)」「あんたは不注意(な人間)」という人格否定が多い
  • 「生まれてくれて有難う」「大好きだよ」と言った存在を丸ごと肯定する言葉がない

こうした方針は、私を「一日も早く聞き分けのいい子にする」には効果がありましたが、母親の知らないところで、私にさまざまな悪影響がありました。

私がHSCだという事に気が付かなかった

母は「なんで?普通、○○するでしょ!?」という言葉をよく使っていましたが、母の描く「普通(大多数の人の行動)」に当てはまらないと、ただの「変なところ」としか認識されず、私の重要な個性である「HSC(割合としては、全体の25%の少数派の子どもたち)」であることについて、母は気が付きませんでした。

「普通の行動ができないのは、甘ったれているからだ」という考えだったので、「世の中には、生まれつき、ひといちばい敏感なタイプの人がいる」という考えには至らなかったのでしょう。

母はテレビ番組から受ける影響が大きい人なので、NHKなどで特集してくれたら、ぜひ録画して見てもらいたいですね。

自分が理解できない事があると、攻撃してごまかした

母は自分がからっとしていて引きずらないタイプなので、「深く長い間、悲しんでいる」人間は大嫌いです。また、自分が気にしないような細かい事を気にする人間も、「神経質、几帳面」といって嫌がります。

そのため幼少期の私が、HSC特有のこだわりや不器用さを見せると、「甘ったれてる」「自分が悪いんだからね」と攻撃されてしまいました。

母がもたらした毒を、自分で治す

母の毒に向き合う

私は「母は毒親だった」という言い方には抵抗があります。それは、「自分の幼少期が不幸だった」と言ってしまうことだからです。

衣食などの世話はちゃんとしてくれたし、優しいところもあったし、今では普通に大人同士の付き合いが出来ているし、私がひといちばい手のかかる子だったし……、などと様々な点を考えますが、要は自分のために、母を毒親認定したくないのです。

しかし、「母のこうした点は、私に毒をもたらした」と自覚するのは、自分の生きづらさと向き合ううえで、とても大切なことです。

今回、文章にまとめることで自分と向き合いましたが、その過程で「幼い頃の自分」をたくさん思い出しました。これが「インナーチャイルドと向き合う」ことだと思うのですが、過去の自分に立ち返って、幼い自分の悲しみや怒りを理解してあげるような作業でした。

母との境界線を定める

幸いにも(?)母は過干渉なタイプではないので(むしろその逆)、結婚して家を出てからは、適度な距離を保って接することができ、とても楽になりました

中には、「母親と対峙し、対話を経て理解されることで克服する」方もいるようですが、私には難しいので、私は「母と境界線を引く」ことで自分を楽にしました。

境界線の引き方
  • 会う頻度を多くしない
  • 2人きりで会わない
  • 母は自分と全く性格が違う人間だという事を意識して会話をする

HSCの息子とよく向き合う

私のHSCの息子は、私同様、傷つきやすいところがあります。2歳のときはイヤイヤ期が激しく、3歳からはしつけに苦労し、とても手のかかる子どもです。

息子を見ていると、小さい頃の自分にそっくりだなあ、と思います(夫もHSPなので、夫の小さい頃にもそっくりだそうです)。

息子に対し、「自分はこう言われたら傷ついた」という言葉を避け、「こうされたら嬉しかった」というやり方を多く試すようにしています。全く響かないときもありますが 笑、驚くほど喜んでくれることが多く、小さい頃の自分まで一緒に癒しているような気持ちになります。

母を嫌う必要はない

私を大好きな息子を見ていて実感したのですが、自分を産み長年にわたり育てた母を嫌うのは、生物学的に難しいことです。母を否定することは、自分を否定することにつながるので、自分を苦しめる行為だからです。

母は私にとって毒のある子育てをしたけれど、毎日の食事を用意してくれたこと、母なりに頑張って育児家事をしたことは、切り離して考えなければなりません。成人してからも、私が体調不良のときや出産のときなどは実家に帰り、度々、世話を受けています。

母の日に花を贈るなど、感謝の気持ちを伝えたいというのも、私の自然な感情です。

まとめ:今の自分を大切に

先日、息子の前で猿岩石の「白い雲のように」をご機嫌で歌っていたら、「♪風に吹かれて、消えてゆくのさ」という歌詞のところで、「ママ、きえちゃだめ!ずっと、そばにいて!」と抱きついてくれました。

「可愛い!」と思うと同時に、「自分の子ども時代が不幸だったかどうかにこだわるより、今の自分と家族を大切にしないといけないなあ」と思いました。

今回、文章にまとめたことで、「自分の子ども時代はつらかった!もっと思い出して!」という欲求が和らいだように感じます。

母の育児が自分に合っていなかったことや、HSPであること、生きづらさなどを自覚したうえで、今後、自分と家族が幸せに暮らせることを大切にしたいと思います。
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